【ここ船浮湾の正体は●●だった!】西表島船浮へ行く(第3回)

【ここ船浮湾の正体は●●だった!】西表島船浮へ行く(第3回)

(1)崩落の危険があるトンネルを恐る恐る進む

前回は、沖縄県西表島にある、陸地なんだけれど船でしかいけない謎の集落、船浮に連絡船で到着し、最凶洞窟の前まで来た、というお話までしました。

何が最凶かというと、上の危険を警告する黄色い看板がすべてを語っています。

それでも、私は危険を顧みず、ずんずんとトンネルの奥へと足を進めていきました。

勇気ある行動に敬礼!

(って、単なるバカじゃん)

トンネルの長さは100mほどでしょうか?

内部はひんやりとしています。

歩きながら「崩落」という言葉を常に誰かが囁いています。

誰だ! 囁くのをやめろ!

つい歩調も早くなります。

単なるビビりなんです。

だから、トンネル内部写真を撮ってくるのを忘れました。

そして、とうとうトンネルを抜けました。

トンネルの出口から中を撮ったものです。

入口も出口も様子はあまり変わりませんね(当たり前か)。

(2)トンネルを抜けるとそこには小さな建物が建っていた

右手のほうに道が続いています。

周囲は丈の高い草で覆われています。

波の音が聞こえるので、海の近くだということがわかります。

しばらく行くと、小さな建物がありました。

ブロックが積まれています。

実はここへ来る前に、船浮の住民の方に聞いていたのです。

トンネルの先には弾薬庫があるよ。

そこも見るといいよ。

そう教えられてやってきたのですが、本当にありました。

でも、なんで、弾薬庫?

ここの住民が反乱を企てて弾薬庫を用意している!

っていうわけはもちろんなくて、真相は次の章です。

(3)船浮湾は軍事要塞

実は、ここ船浮湾は太平洋戦争開戦前に陸軍が築いた軍事要塞でした。

以下の記述は「船浮湾の戦争遺跡」大城将保 を参考にさせてもらいました。

https://okimu.jp/userfiles/files/page/museum/issue/report/Iriomote6.pdf#search=%27%E8%88%9F%E6%B5%AE%E6%B9%BE%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E9%81%BA%E8%B7%A1%E3%80%8D%E5%A

ときは1941(昭和16)年6月。

太平洋戦争開戦の半年前のことになります。

陸軍は日本が東南アジアなどの南方からの石油やゴムなどの軍需物資輸送ルートを確保するために、沖縄の離島、西表島に目をつけて、ここに軍事要塞の設営を開始した。

要塞は船浮だけでなく、内離(うちばなり)島、外離(そとばなり)島、祖納(そない)、サバ崎に及ぶエリアを要塞化する計画であったようです。

地図は竹富町役場『鉄田義司日記』が原図で、
上記の「船浮湾の戦争遺跡」大城将保 から転載させていただきました。

陸軍は地元の住民や朝鮮人の炭鉱夫や学童を動員して作業にあたらせたということなので、くだんのトンネルや弾薬庫もこのとき造らせたのでしょう。

上の地図の ☟ の地図記号は電話海底線室。

実線で延びているのが電話の海底ケーブルで、この電話線はトンネル内にも通っているものと考えられます。

ここ船浮には、弾薬庫、電話海底線室のほかにも海軍濠跡、貯水池および標柱、発電小屋跡、特攻艇格納庫などの戦争遺跡があるとのこと。

船浮にはイダの浜という、海がきれいな砂浜があり、ふだんは海水浴やマリンスポーツなどでにぎわっています。

静かで平和な光景の陰に戦争の痕跡が隠されていたとは意外でした。

ところで、先ほどの船浮の戦争遺跡のリストの中に「特攻艇格納庫」という言葉があったのが気になります。

(4)特攻艇「震洋」について

「船浮湾の戦争遺跡」の論文の中にもありましたが、この特攻艇「震洋」については秘密にされていたこと、船浮の住民はこの要塞建設時に上原に強制移住させられていたので、目撃者や記録やもなく、真相は闇の中ということです。

特攻というと、みなさんは「神風攻撃隊」のことを思い浮かべるかと思います。

あの、飛行機が爆弾を抱えてそのまま敵機に突っ込むやつです。

実は特攻(特別攻撃隊)は、「神風攻撃隊」だけではなく、潜水艦(人間魚雷)によるもの(回天)、グライダーによるもの(桜花)などさまざまな特攻兵器が開発されました。

特攻艇「震洋」のその1つで、これは小型艇(モーターボート)に爆薬を積んで敵艦に突っ込むものです。

この特攻隊は日本各地に基地が置かれ、約2,500人以上の戦死者を出したそうです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/震洋

志願して散華(さんげ)した多くは10代、20代の若者です。

将来を担う若い人たちを育てようとせず、組織を守るために純真無垢な若者を使い捨てにするような社会は許し難い。

考えてみれば、若者を非正規雇用にして、低賃金でこき使い、景気が悪化すれば雇止めにして、バッサリ切り捨てる。

このような状況を見れば、組織のトップが考える発想は昔も今も変わりない。

あの戦争を思うと、怒りの鉾先は現代社会にも向かうことを抑えることができません。

ともあれ、これで洞窟の正体を突き止めることができました。

楽しいことが多いのが旅ですが、各地を回っていると、やはりあの戦争がつきまとってくるのです。

平和でハッピーな現実にサッと冷たい風が吹くこともあるのが旅のもう一つの側面です。

【ここ船浮湾の正体は●●だった!】西表島船浮へ行く(第3回)終わり

【猪カレーはどんな味?】西表島船浮へ行く(第4回)に続く

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