(4)白髭神社(白髭大岩)~弁慶の腕ぬき岩
白髭(しらひげ)神社のネーミングに興味を持ちました。子どものころ、近所にも白髭神社がありました。
神社へ続く石段を登ります。

鳥居をくぐると、すぐに社(やしろ)が見えてきました。

小さな社殿ですが、右に「白髭大岩」と呼ばれるオーバーハングした巨石が見えます。

この岩が御神体なのでしょう。磐座(いわくら)といって、古代人は巨大な石や岩に神が宿ると考えて、神聖な場所として祭祀(さいし)をしてきました。
神社の社殿は近年再興されたものですが、本来、ここは聖地として古来より信仰の対象になっていたのでしょう。

石段の下に解説板がありましたが、「3世紀石灰岩」とあるのは誤りだと、ボランティアのガイドさんが指摘されていました。
この「3世紀」は「第3紀」の誤植でしょう。
東京都教育委員会、直しておいてください。

この岩が「弁慶の腕ぬき岩」です。


こちらが拡大したもの。丸くくり抜かれていて向こう側が見えます。
これは川の水の力によるものです。
ガイドさんは、川辺にあった石が地層の隆起によって川から10メートル以上ある現在地にまで移動したと解説されていました。
むしろ、昔はここが河床で、川の浸食で川が現在の10メートル下に掘り下げられて、この岩だけが何らかの事情で現在の場所に残った、と考えるほうが自然でしょう。
(5)耳神様~しだらく吊り橋

中央の穴が開いている石が耳神様。
江戸時代、耳が悪い人がここへ病気祈願にお参りにきていたそうです。

耳神様の下にも小さな穴が開いた小石が置かれています。
これは参拝者が奉納したもの。
医学が発達していないむかしは、こうして神様にお願いして安心感を得たのです、とガイドさんが解説されていました。
そういう心境は非常によくわかります。
私も耳神様に手を合わせました。


ここのお不動さんには寄りませんでした。前を通っただけ。
お不動さんは正確には不動明王といって天台宗や真言宗などの密教の守護神。江戸時代には火事除けの神様として篤く信仰されていました。

ここが「しだらく吊り橋」。一度に二人しか渡れません。後の人は行列を作って順番待ちをしていました。
小さい女の子がお母さんにかかえられながら、おっかなびっくり吊り橋を渡っています。この子は吊り橋デビューだったのでしょう。
(6)馬の水のみ場~道所吊り橋


この横に長い石のくぼみ清水を溜めて馬に飲ませたのだそうです。
これは昭和の初めまで使われていたそうです。
車社会以前は、馬は荷駄を運んだり、農耕に使用したり、人々の生活に欠かせないものだったことを改めて思い知らされました。


耳の次は歯です。
むかしも今も耳や歯で悩む人々は変わらないということです。
この「むし歯地蔵尊」の前は食事もできる売店になっていました。

こちらは「道所吊り橋」。順番待ちの人がいたので、こちらも渡らずに先を急ぎます。
帰りのバスの時間を調べてこなかったので、気になってあまり寄り道をする気になれません。
ここから先は険しい急な上り坂が続いて、写真を撮る余裕がありませんでした。

樹間から小河内ダムを臨むことができます。
これからさらに急坂が続き、息も絶え絶えになりました。
次回はいよいよゴールの奥多摩湖。
その前にカフェで上等なアイスとメチャメチャ美味しいカレーを食べました。
食レポは「「奥多摩むかし道」(ハイキングコース・中級者向け)を紹介~その③」で。
お楽しみに。
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